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龍ケ崎ヒストリー第24回
第24回「水塚」2025年6月号
河川沿いの地域は、川の恵みを受けて豊かになる一方、常に洪水の危険との隣り合わせです。龍ケ崎市の場合は、近くに小貝川が流れる高須町や豊田町は川の蛇行が一著しく、水害を極めて受け易い場所でした。それゆえ住民は昔から水との戦いに心血をそそいできました。
物置の梁に小舟を吊るし、水害の時にこれを降ろし、避難や食料の運搬に使う。こうした揚舟は、水難地域には各戸に備えてありましたが現在は少なくなりました。
また、天井裏を避難場所とし、非常の際はここで生活できるよう畳敷きにし、通風口や明り取りの窓を取り付けるといった母屋の一部を防災施設にする方法や、水塚といって、母屋よりも0.5~3メートルほど高く盛土をした上に設けられた小屋を避難場所とする方法などが採られてきました。龍ケ崎市内においては、小貝川の河川改良工事が行われ、昭和56年を最後にそれ以降大きな災害は起きておりません。また、昨今ではこの地区に新築する場合は、水塚を築くのではなく、地盤の地上げをするのが一般的となっております。こうしたことから、水難地域特有の水防建築は徐々に減ってきています。外見からも確認できる水塚に関しては、件数は少なくなってきましたが、過去の生き証人のごとく現在も高須町、豊田町では散在しています。
なお、水塚は地方によって様々ないい方があります。利根川周辺の場合は主に水塚といいますが、段倉、水倉という地域もあります。また、盛土そのものを水塚といい、その上に建てられた水防建築のことを水屋と分けて表現する場合もあります。

