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龍ケ崎ヒストリー第11回

第11回「謎多き星宮神社 」 2022年9月号

若柴の星宮(ほしのみや)神社は、延長2年(924)肥後国八代郡(現熊本県八代市)妙見宮から分霊勧請して祀ったものと伝えられています。妙見宮の妙見とは妙見菩薩のことで、天の中心である北極星を神格化したものであります。江戸期までは妙見菩薩を祀る妙見宮でありましたが、明治の神仏分離令により、八代神社と名を改め、妙見菩薩と同一視されている天御中主神(あめのみなかぬしのみこと)を祭神とする神社に再編されています。今でも妙見宮あるいは妙見様と称されることが多いようです。
一方、若柴の星宮神社は公式には八代神社と同系統の天御中主大神(あめのみなかのぬしおおかみ)を祭神としていますが、いつの時代からか虚空蔵菩薩を祀るようになり現在に至っています。
金龍寺参道入口に建つ西國巡禮碑には「常陸国当所鎮守星大明神の本地は虚空蔵菩薩なり」と刻まれていて、平貞盛がこの社に祈誓したから強敵(平将門)を滅ぼすに至ったという意味のことが付け加えられています。この石碑の文章を書いたのが江戸中期の俳人乱竿坊魚筌(野口弥五右衛門)です。これがもし真実なら、当初から虚空蔵菩薩を祀る星大明神であったと考えるのが自然ではないでしょうか。
実際、若柴の人々の暮らしの中に虚空蔵菩薩の影響が溶け込んでいます。鰻は虚空蔵菩薩の使者と考えられ、星宮神社を鎮守とする若柴の人々は鰻を食べないといわれています。この神社が、古くから虚空蔵菩薩を祀っていたことの証で、西國巡禮碑の裏付けといえます。
明治の神仏分離令で仏教系の虚空蔵菩薩を神社で公然と祀られなくなり、やむなく天御中主大神を祭神とする神社に再編させられたということでしょうか。そう考えると延長2年妙見宮から分霊勧請して祀ったといういい伝えが偽りとなります。あるいは妙見菩薩と虚空蔵菩薩がどちらも天空を仰ぐ信仰で、どこかの時点で混同された可能性もあります。いずれにしても謎解きの難しい神社なのです。