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龍ケ崎ヒストリー第4回

第4回「宮和田の渡し」2021年5月号

江戸時代の水戸街道は武蔵国千住宿から始まり、江戸川を渡ると下総国の松戸宿となります。そして小金宿、我孫子宿、取手宿、藤代宿までが下総国です。藤代宿を過ぎると宮和田の渡し場があり、ここから舟で小貝川(文巻川)を渡ると常陸国小通幸谷村(現龍ケ崎市)になります。
池波正太郎の「鬼平犯科帳 雲竜剣」に宮和田の渡し場の記述があります。テレビドラマにもなっていてDVD化されているので、渡し場の様子を映像で見ることが出来ます。また、原作には〝 藤代の宿駅は、牛久沼や小貝川・利根川沿岸の台地に囲まれた低平坦地だ。そして、これらの河川の氾濫のたびに水害が起こっている。幕府は、遠く寛永のころから、関東郡代に命じて、小貝・鬼怒・利根の三川の治水に取くみ、二千間におよぶ大堤防を築き、このあたりを穀倉地帯にすることを得た。″と、伊奈忠治の治水のことまで書いてあります。
さて、宮和田の渡し場は正徳五年(1715)水戸藩家老によって書かれた『駅路鞭影記(えきろべんえいき)』によると渡し賃は2文と記録されています。渡し場にはうどん、そば切りを売る店があったことも書かれています。ちなみにその当時のかけそばが16文ほどだったので、現在の価格では、仮にかけそばが400円とすると、渡し賃の2文は50円に相当します。
なお、小通幸谷の水辺には、今も渡し場の遺構を確認することが出来ます。水量が少なくなると、水辺に桟橋の残骸が姿を現します。