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龍ケ崎ヒストリー第6回

第6回「杉野翠兄と筑波庵」2021年8月号

杉野翠兄(すいけい)は宝暦4年(1754)、龍ケ崎村の油商を営む杉野治兵衛(じへえ)家に生まれました。家業を継ぎ世襲名杉野治兵衛を名乗りますが、そのかたわら江戸に出て松尾芭蕉の流れを汲む俳人大島蓼太(りょうた)の弟子となり、江戸俳諧で活躍しました。蓼太の没後は江戸俳諧の雄の一人といわれ、小林一茶とも交流がありました。
龍ケ崎の上町、自宅からほど近いところに筑波庵を建立し、多くの弟子を導き常総の地に俳句を広めたといわれています。
翠兄の筑波庵は修繕を重ね、かろうじて現存していますが、人が住まなくなって10数年が過ぎ、観るも忍びない廃屋状態となっています。建物の構造は木造平屋、藁葺屋根(現状はトタン葺き)和室3間の他増築部分に台所と風呂場があり、いたって質素な造りです。質素な中にも、翠兄時代のものと思われる、床の間の落とし掛け、長押しの雛留め(ひなどめ.)部分や釘隠しなど格調高い意匠となっています。
「これを残せるのなら、江戸期の道場と位置付けることにより、大変希少価値の高い文化財に成り得る」と、主張する市民団体もおります。邸内には、翠兄が尊敬した服部嵐雪(らんせつ)の句碑が建っていて、その背後に龍ケ崎市指定文化財の寒山竹が高く伸びています。