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龍ケ崎ヒストリー第3回
第3回「沼の詩人 澤ゆき」2021年4月号
牛久沼を愛し沼の詩人といわれた澤ゆきをご存知でしょうか?
龍ケ崎市歴史民俗資料館の入り口に、澤ゆきを敬愛する人々によって建てられた詩碑があります。そこには「水草の下に そよめく愁の影 きわまりなし」及び「失いしものは しずかにして 忘れ得ぬものは はなる」の短い詩2題が刻まれています。“水草の下”とは沼の底のことで、あるときは激しく、あるときはおののくような感性をもって沼の神秘を水底からすくい上げています。
澤ゆきは明治27年(1894)稲敷郡茎崎村小茎(現つくば市)に生まれ、ここで少女時代を過ごします。茎崎村小茎は牛久沼の北の入り江に出っ張た所にあり、遠く筑波山を望むことが出来、沼の豊かな自然はたくさんの水生植物を育みます。このような自然に囲まれた牛久沼がその詩作の源となったようです。
明治38年(1905)12才にて単身上京して千代田高女に学び、明治41年(1908)共立専門学校へ進みます。このころから文学志向が強く、英語やフランス語を学び西洋文化学に触れ詩に関心を持つようになります。この頃、文豪森鴎外と文通したといわれています。
大正3年(1914)19才にて龍ケ崎町で酒造業を営む飯野保平と結婚し、家業の傍ら詩作を続けました。
大正7年(1918)川路柳虹が主宰する「現代詩歌」に同人として参加します。翌8年、ゆきが「日本詩歌」に投稿した「悲しき愛」「小さなやすみ」が掲載され、詩壇に女流詩人澤ゆきの存在が知られます。大正10年(1911)詩集「孤独の愛」を出版し、島崎藤村等が繊細な感覚を高く評価しました。昭和6年(1931)佐藤惣之助の指導を受け、深尾須磨子、山村暮鳥、林芙美子、茅野雅子らとも交流します。
昭和37年(1962)69才の時、詩集「沼」を出版。昭和46年(1971)詩集「浮草」を出版します。こうした華々しい活躍は一部の人にしか知らされてなく、表向きは酒屋の女将として生涯を送ったそうです。昭和47年(1972)78歳で逝去します。