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龍ケ崎ヒストリー第10回

第10回「龍ケ崎の和菓子文化」 2022年7月号

龍ケ崎市街地には様々な形態の老舗和菓子店が軒を並べています。その数7軒ですが、まちの規模からするととても多く、和菓子で町おこしが出来るほどといって良いでしょう。一説には砂糖の消費量が日本一(人口比率)といわれていますが、和菓子店が多ければ砂糖の消費も多くなる。まんざら嘘ではなさそうです。
龍ケ崎は古くから米や繭の集積地として栄え、県南の中心的な地方都市でありました。そんな龍ケ崎には様ざまな小売店、問屋、飲食店、旅館、演芸場といった施設、そして神社仏閣があり、ビジネスや買い物、娯楽、参詣者で賑わいました。賑わえば賑わうほどお土産を購入する人も増えます。気軽なお土産品として和菓子が選ばれることが多かったと思います。かつて龍ケ崎観音の近くに所在した岡田屋和菓子店では、観音おこしや観音最中を販売し、龍ケ崎のお土産店の役割を担っていました。ほおずき市など祭礼日には煙突からモクモクと煙が上がっていたといいます。その煙突は今も空高く聳えています。
さて、龍ケ崎の和菓子店には、赤飯や稲荷ずしといった和菓子とは無関係に思われる商品を売っているお店があります。それは祭礼など人々の年中行事と密接な関係があると考えられます。市街地には八坂神社のほか、小さな神社や祠がたくさんあり、町内会単位のオピシャ講、稲荷講、エビス講、屋敷神の祭祀があります。このような行事では赤飯や稲荷ずし海苔巻、おはぎ、かしわ餅、あんころ餅などが振舞われます。こうした年中行事の食習慣が日常化し、和菓子店で稲荷ずしや赤飯が売られるようになったと考えます。これは龍ケ崎に限ったものではありません。関東一円の古い形態を残す町では同様の傾向が見られます。
龍ケ崎の和菓子店が市史の記録の中に最初に登場するのは、幕末期、佐沼新田の善兵衛という飴屋です。善兵衛がどのような人物であったかは想像するしかありません。その後、明治、大正、昭和、平成と栄枯盛衰、様々な和菓子店の変遷があり、惜しまれつつごく最近店じまいしたお店もあります。現在もてらだ屋(米町)、源内(上町)、伊勢屋(横町)、鍵林(根町)、国華堂(寺後)、名古屋食品(砂町)、山本屋(砂町)は営業を続けられております。昔からのスタイルを堅持するお店や、新しいスタイルのお店もありますが、いずれも昭和感が漂う龍ケ崎の和菓子文化を支えているお店といってよいでしょう。