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龍ケ崎ヒストリー第13回

第13回「小野瀬忠兵衛 」2023年2月号

江戸時代の後半、筑波山麓北条より新助と名乗る男が龍ケ崎にやって来ます。そして当時の必需品である筆墨(ひつぼく)や米穀の商いをはじめ30代で財を築きました。
具体的な年代は不明ですが天保年間(1830-44)と考えられます。
文久2年(1862)天王社(龍ケ崎鎮守八坂神社)の寄進名簿に、小野瀬新助名義の多額の寄進が記録されていて、これにより小野瀬という名字が許されていたことが分かります。もしかすると帯刀も・・・。当時町人が名字を許されるのは特別で、どのような経緯だったかは想像するしかありません。新助はその後忠兵衛と名乗り、昭和まで続く小野瀬忠兵衛商店の礎となります。

明治になり、三代目忠兵衛は、干鰯(ほしか=鰯を乾燥させた肥料)と塩の専売で財をなし、明治39年(1906)龍ケ崎農商銀行の創立発起人を務めました。

五代目忠兵衛(明治32年(1899)~昭和52年(1977))は会社経営等実業家であるとともに、戦後衆議院議員を3期務め、政財界で活躍し龍ケ崎の発展に尽力しました。その功績により黄綬褒章と紺綬褒章を受章しております。

市街地上町に明治初期建築の小野瀬忠兵衛商店の店舗と住宅が現存します。建物と敷地は人手に渡り、平成16年(2004)現所有者の申請により龍ケ崎で初の国登録有形文化財となりました。