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龍ケ崎ヒストリー第5回

第5回「龍ケ崎市街地西地区の史跡と下河辺氏」2021年6月号

龍ケ崎の祖といわれている下河辺政義(しもこうべまさよし)は鎌倉幕府源頼朝の命を受け、古河に拠点を置き常陸国南部を支配しました。常陸国南部に位置する龍ケ崎は当然下河辺氏の支配地になるわけですが、龍ケ崎と下河辺氏との関わりの実態は解明されておりません。
頼政神社やしぶくり卵塔、高田権現などは、下河辺氏との関係を伝える一例となっております。また、貝原塚の領民を引き連れ、沼沢であった根町を開拓し、龍ケ崎の最初の町づくりを行ったのが下河辺政義であるといわれています。この時、下河辺氏は町づくりのために、貝原塚にあった八坂神社を分霊し、般若院境内に祀ったと言われています。
これが龍ケ崎の鎮守である八坂神社の原点となり、祇園祭における撞舞などの祭事が根町で行われている由縁となっています。
下河辺氏はその後枝分かれし、龍ケ崎に居ついた一族が龍崎を名乗ったといわれていますが、これも実態は解明されておりません。

般若院