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龍ケ崎ヒストリー第15回

第15回「龍ケ崎市民遺産 関東鉄道竜ヶ崎線」2023年7月号

古くは乗客だけでなく、肥料や米、繭などの物資を運搬し、龍ケ崎の発展に大きな役割を果たし、今も竜鉄の愛称で親しまれている関東鉄道竜ヶ崎線。その構想段階では北相馬郡高須村出身の国会議員であり、地元で酒造業を営む倉島松雄個人経営の、龍ケ崎町と北相馬郡相馬町(藤代駅)を結ぶ馬車鉄道でした。

これに対して龍ケ崎町の豪商や実力者が皆で出資して株式会社にすることを提案し、倉島はこれを受け入れ、明治31年(1898)倉島を社長とする龍崎馬車鉄道株式会社が発足しました。

その後、費用削減と営業効率を考慮し、馴柴村佐貫に新駅を作り、龍ケ崎駅から直線で結ぶ路線に、そして蒸気軽便鉄道に変更となりました。こうして、明治33年(1900)龍ケ崎駅~佐貫駅を結ぶ4.5Kmの茨城県最古の私鉄、龍ケ崎鉄道が開業しました。この時同時に開業したのが、龍ケ崎、門倉、南中島、佐貫の4駅でした。そして半年遅れの明治34年(1901)に入地駅が開業しました。

開業当時は河岸で賑わっていた稲敷郡柴崎村の伊佐津まで延伸計画がありましたが、日露戦争の影響で資金難となり実現しませんでした。

その後は、大正4年(1915)軽便鉄道から狭軌(1067mm)に改軌し、国鉄から貨物車両の直通運転開始。昭和19年(1944)鹿島参宮鉄道に吸収合併。昭和32年(1957)南中島駅と門倉駅が廃止。昭和40年(1965)鹿島参宮鉄道と常総筑波鉄道が合併して関東鉄道が発足。昭和43年(1968)蒸気機関車が終焉し、総ての車両がディーゼル車に移行。昭和46年(1971)貨物取扱廃止、日本初のワンマン運転が開始。昭和49年(1974)現在の竜ヶ崎駅舎となりました。このような歴史を踏まえ、関東鉄道竜ヶ崎線は令和3年(2021)龍ケ崎市民遺産認定となりました。