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ひびき-龍ケ崎ヒストリー

第16回「道仙田の詩人 英 美子」2023年8月号

英美子(はなぶさよしこ)本名中林文、静岡市出身、西條八十の導きで詩の世界に入りました。戦後は『日本未来派』同人として活躍。晩年はマドリード・アテネオ劇場で自作詩朗読 続きを読む

第15回「龍ケ崎市民遺産 関東鉄道竜ヶ崎線」2023年7月号

古くは乗客だけでなく、肥料や米、繭などの物資を運搬し、龍ケ崎の発展に大きな役割を果たし、今も竜鉄の愛称で親しまれている関東鉄道竜ヶ崎線。  続きを読む

第14回「並木道」2023年4月号

永禄11年(1568)に土岐胤倫は、龍ケ崎城の城主になりこの地を支配しますが、当時の城下は度重なる鬼怒川(現小貝川)の氾濫により低地部は沼沢となっていて、 続きを読む

第13回「小野瀬忠兵衛 」2023年2月号

江戸時代の後半、筑波山麓北条より新助と名乗る男が龍ケ崎にやって来ます。そして当時の必需品である筆墨(ひつぼく)や米穀の商いをはじめ30代で財を築きました。 続きを読む

第12回「吟月堂の浮草と大徳町 」 2022年12月号

龍ケ崎市街地の東の端に吟月堂という菓子店がありました。近年閉店になりましたが、このお店で製造販売されていた浮草という和菓子の味が忘れられません。 続きを読む

第11回「謎多き星宮神社 」 2022年9月号

若柴の星宮神社は、延長2年(924)肥後国八代郡妙見宮から分霊勧請して祀ったものと伝えられています。 続きを読む

第10回「龍ケ崎の和菓子文化」 2022年7月号

龍ケ崎市街地には様々な形態の老舗和菓子店が軒を並べています。その数7軒ですが、まちの規模からするととても多く、和菓子で町おこしが出来るほどといって良いでしょう。 続きを読む

第9回「女化神社飛び地の謎」 2022年5月号

女化神社の創建は社伝によると永正2年となっていますが、郷土の民話「狐の恩返し」に関連して、狐の子孫といわれた戦国武将の栗林義長が天文7年に創建したという説もあります。 続きを読む

第8回「頼政神社」 2021年11月号

源頼政は平安時代末期の武将で、清和源氏でありながら平家政権で中核をなし、平清盛からも信頼篤く、源氏としては突出した従三位の地位を得ていて、源三位と呼ばれていました 続きを読む

第7回「新田義貞の墓」2021年10月号

1338年(延元3/建武5)南北朝の動乱で南朝の武将新田義貞は足利尊氏率いる北朝軍に敗れ、越前藤島にて討ち死にしました。亡骸は近くの称念寺住職により手厚く埋葬されました。 続きを読む

第6回「杉野翠兄と筑波庵」2021年8月号

杉野翠兄は宝暦4年(1754)、龍ケ崎村の油商を営む杉野治兵衛家に生まれました。家業を継ぎ世襲名杉野治兵衛を名乗りますが、 続きを読む

第5回「龍ケ崎市街地西地区の史跡と下河辺氏」2021年6月号

龍ケ崎の祖といわれている下河辺政義は鎌倉幕府源頼朝の命を受け、古河に拠点を置き常陸国南部を支配しました。常陸国南部に位置する龍ケ崎は当然下河辺氏の支配地になるわけですが、龍ケ崎と下河辺氏との関わりの実態は解明されておりません。 続きを読む

第4回「宮和田の渡し」2021年5月号

江戸時代の水戸街道は武蔵国千住宿から始まり、江戸川を渡ると下総国の松戸宿となります。そして小金宿、我孫子宿、取手宿、藤代宿までが下総国です。藤代宿を過ぎると宮和田の渡し場があり、ここから舟で小貝川(文巻川)を渡ると常陸国小通幸谷村(現龍ケ崎市)になります。 続きを読む

第3回「沼の詩人 澤ゆき」2021年4月号

牛久沼を愛し沼の詩人といわれた澤ゆきをご存知でしょうか?
龍ケ崎市歴史民俗資料館の入り口に、澤ゆきを敬愛する人々によって建てられた詩碑があります。そこには「水草の下に そよめく愁の影 きわまりなし」及び「失いしものは しずかにして 忘れ得ぬものは はなる」の短い詩2題が刻まれています。続きを読む

第2回「三笠宮来龍碑と高松家石蔵」2021年3月号

龍ケ崎市新町に、近年まで松屋の商号で商いをされていた高松家の屋敷が残っていました。2011年の東日本大震災で母屋は半壊のため解体され、敷地内の石蔵と三笠宮来龍碑だけが残りました。
高松家は砂糖の元締めをされた龍ケ崎を代表する豪商で、木村安兵衛を輩出した木村家と姻戚関係があります。続きを読む

第1回「一力長五郎」2021年2月号

一力長五郎、本名は山崎安好で、文化12年現在の茨城県龍ケ崎市若柴町字富士ノ下に生まれます。最初の四股名は藤ヶ峰、そして早房、一力と改名、嘉永2年11月場所33才で新入幕を果し、安政6年(1859)には前頭筆頭にまで番付を上げます。続きを読む