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龍ケ崎ヒストリー第26回

第26回「旧水戸街道」2026年3月号

江戸時代の初期、幕府は政治的中心の江戸と全国を結ぶため、多くの街道を整備しました。二代将軍秀忠は、東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道の重要な街道を五街道と制定し、これらを幕府直轄としました。また1里ごとに1里塚を築くように命じたのも秀忠でした。五街道にはそれぞれに付属するバイパス的な街道が存在し、当地の水戸街道は日光街道の付属街道の位置づけでありました。しかし幕府の所在地江戸と、御三家の一つである水戸徳川家の居城が所在する水戸を結ぶ重要な街道で、脇往還あるいは脇街道と呼ばれ、五街道に準ずる街道と考えられていました。 初期の水戸街道は我孫子より布佐、布川(北相馬郡利根町)、道仙田(長沖新田町)経由で若柴に至っていました。天和年間(1681-84)頃に、我孫子、取手、藤代、若柴に至るルートに変更となったのです。そして、それまでのルートは古水戸街道あるいは布川道と呼ばれるようになります。 明治5年(1872)水戸街道は陸前まで延伸となり、陸前浜街道と名称変更されました。 明治17年(1884)明治天皇の牛久行幸の際に牛久までの陸前浜街道は改修され、藤代から牛久沼東端を通り牛久へ至る最短コースに変更されました。