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龍ケ崎ヒストリー第20回

龍ケ崎ヒストリー第20回「般若院、貝原塚から根町移転の謎  」2024年8月号

般若院の正式名は金剛山観仏寺般若院といいます。天元元年(978)、道珍によって貝原塚に創建されたと伝えられています。いつ頃天台宗の寺院になったのかは不明ですが、寺伝によると大永4年(1524)に根町に移り、天台宗逢善寺(小野-現稲敷市)の僧侶考観(こうかん)によって諸堂宇が建てられたと伝えられています。この移転の履歴により、般若院が500年前から天台宗の寺院であったことが分かります。

一方、貝原塚には金光山観仏寺金剛院という天台宗のお寺があり、創建時期も般若院と同じ頃といわれています。すると、貝原塚には天元年間に金剛院と般若院の二つの寺院が創建されたことになります。これには疑問があり、あくまでも仮説ですが、天元元年貝原塚に道珍が創建したのは観仏寺であり、この寺が何らかの事情で二つに分かれ、根町に移転した方を観仏寺般若院と称し、貝原塚に残った方を観仏寺金剛院と称したとすると納得出来るのです。龍ケ崎市史ではこの説を唱えていますが、証明する資料が現時点では見つかっておりません。また、何らかの事情については、龍ケ崎進出を念頭に江戸崎城の土岐原氏が龍ケ崎城の築城及び城下の整備のため般若院を根町に移したと考えるのですが、ところが当時の江戸崎城主は美濃から婿入りして間もない治頼(はるより)で、そのような力があったとは思えません。実は龍ケ崎城は築城時期が解明されておらず、また城下の整備時期と半世紀のずれがあり多くの疑問が残ります。

いずれにしても、天正年間(1573~92)般若院は龍ケ崎城主土岐氏の祈願所となります。そして江戸時代には伊達家の位牌所となり、時の支配者に手厚く庇護されています。また定栄(じょうえい)や朗月晃順など高名な僧侶を次々と生み出し、根町にて飛躍的な発展を遂げ、当地における信仰の中心的な寺院となりました。

以下、紙面未掲載

なお、県指定文化財(天然記念物)のしだれ桜は般若院が根町に移転した時に植えられたといわれています。そうすると、今年でちょうど500年になります。見事な老木で毎年春になると垂れ下がった枝に優美な花を見せてくれます。今年も市内外からたくさんの花見客が訪れたようで、まぎれもなく龍ケ崎の観光名所の一つといえます。しだれ桜の樹齢は200年とも300年ともいわれていますが、大切に育てると1000年以上花を咲かせるといわれています。遠い未来にも般若院のしだれ桜が見られることを信じてやみません。